週末はスポーツ観戦

テニス中心に、サッカー、野球などの観戦記や思った事を徒然に赴くままに

中国歴史ドラマ 三国志 超子龍伝説 #59 虎威将軍 趙雲 最終回

 春先からWOWOWで放送していました趙雲伝もつい先ほど最終回を終えました。

f:id:chiyasyas:20170729130957j:plain

夏侯淵に奇襲

 曹操軍と劉備軍の漢中攻防が舞台です。

 陽平関を拠点に大群で迎え討つ夏侯淵と高則。高則は陽平関に残り夏侯淵が劉備軍を迎え撃ちます。

 趙雲、黄忠は正面からではなく、策を弄し、夏侯淵をおびき出すと、虎仮面を付けた騎馬隊の突撃に夏侯淵軍は混乱し、夏侯淵は落馬し冷静を失うもののわずかの手勢で陽平関に逃げ混む。しかし、前もって侵入していた柳慎の手勢が陽平関の門番を切り、趙雲軍はそのまま陽平関に突入する。

 尚も逃げる夏侯淵は単騎で逃走、趙雲がこれを追うと、黄忠と鉢合わせで2体1となる。

 趙雲は一歩引き、夏侯淵対黄忠の一騎打ちが始まろうとする。

 しかし、ここで横から弓矢で夏侯淵の背後を襲い、黄忠が一刀の元に夏侯淵を葬る。

 横ヤリを入れた将軍は高則であった。

 高則は黄忠と一騎打ちとなるも黄忠を出し抜き落馬させ、更には黄忠が背負っていた倚天剣を奪う。

 

最後の戦い 高則 対 趙雲

 すると、見ていた趙雲がこれを追い、高則も逃げるように趙雲を竹藪の中に誘い込む。ここで、高則は趙雲の大師匠の楽淵を殺した事を告げるとここから2人の一騎打ちが始まる。互いの攻防はやや高則が押し、趙雲の槍が高則によって弾かれてしまうも、趙雲も間一髪で高則の槍を交わし槍が気に突き刺さる。

 互いに槍を捨てて高則が先ほど奪った倚天剣と趙雲が持つ青釭剣の争いとなる。高則が青釭剣の先端を折るも、激しい打ち合いの中、趙雲が高則の腹部に折れた青釭剣をそのまま突き刺し勝負は付く。

 高則はこれまで多くの側近を殺した報いだと観念し朽ち果てる。

 趙雲はその死にざまを黙って見つめ、「このような剣で多くの血が流れた。こんなものなど本来必要のないもの。」と言い残し、残った倚天剣も真っ二つにし、両剣を葬る。

 

クライマックス 劉備 漢中王即位

 高則を葬ったものの、高則が「夏侯淵は曹操の幼馴染、その彼が死んだ今、必ずや大軍を仕向けるであろう」との言葉通り、曹操は10万の大軍で6000余りの趙雲率いる漢中軍に出撃命令を発する。

 劉備本体の援軍到着には時間がかかるため、趙雲は一計を案じる。

 趙雲は門の前に単騎で出て曹操率いる大軍に微動だにしない。

 曹操は趙雲の活躍をこの目で見ているため慎重に応対し動かない。

 すると、趙雲が「孔明の罠に引っかかったな!」と叫び少数の伏兵に一斉に攻撃を命じると曹操軍は混乱し、曹操は退却の合図を出す。こうして漢中の支配争いは劉備軍が制した。劉備はとっさの判断と命を省みない趙雲の豪胆さに、「子龍は一身これ肝なり」と言及する。

 

 こうして曹操軍の追撃を抑えきった劉備軍は漢中に入る。すると、趙雲はかねて馬超より催促されていた馬玉柔に会いに行く。突然の趙雲の来訪に驚く馬玉柔は、しかし、「何しにここにきたの?」と聞く。趙雲は「君に会いに来た」と言う。

 馬玉柔はこれまで歯牙にも掛けられなかった趙雲が自分に会いに来るなんて信じられないと思うものの、内心は嬉しく思う。そして、趙雲は「いつまでも立ち止まらず前を向く」といい馬玉柔に微笑みかけると馬玉柔は今までの思いがこみ上げお互いに抱き寄せられる。

 こうして、趙雲は馬玉柔を陣下に迎え、馬超も宝月を迎え入れたような描写がある。

 そして最後は劉備の漢中王即位により、5虎将軍の任命、並びに趙雲を虎威将軍に封じる・・・という場面でドラマは終了しました。

 

物語がここで終了した理由

 40億の費用をかけての大作としては締めの場面はいささか疑問を呈する事かと思います。しかしながら蜀軍の活躍の終わり方としてはここがベストともとれるかもしれません。

 というのも、劉備軍のピークは間違いなくここにあります。蜀を制し、漢中での曹操軍との覇権に打ち勝ち漢中王を名乗る・・・。漢の高祖劉邦が項羽に反撃するために漢中王を名乗った縁起のよさも含めてここが一番の隆盛と言えます。漢の復興を果たしたという意味では筋は通っています。

 蜀軍はここからどんどん勢力が落ちていきます。蜀軍の隆盛を恐れた孫権が曹操と組み関羽を破り切り殺し荊州を奪われ、それに怒った劉備が呉軍と夷陵で争うも陸遜の火計で敗れ、その精神的ショックが元で劉備は崩御します。その後は「本来は軍略が得意でない」孔明が蜀軍を奮い立たせますが過労で死亡すると蜀軍は姜維の軍を省みない行軍により疲弊し内部から崩れ、また2世皇帝に決断力がなく重臣の思うがままの政治により滅びました。この解釈は演技も正史も大差なく描かれています。

 趙雲に関しても将軍即位以後は目立った活躍はせず、老将として行軍の足を引っ張る事が度々あり、最後は病死しています(所説あり)。終わり方としては一定の納得は得られる所です。

趙雲の生涯を描いているとは・・・

 しかし、番組冒頭の「勇猛にして忠誠心に厚く、蜀随一の武将と言われた男趙雲。これは1人の男が世に名を残すその生涯を描いた壮大な物語である」とあり、死ぬまではいかずともより後半まで物語が続くのを期待させる言葉になっており、これには反すると見ます。

 趙雲の物語といいながらも最後の終わりは劉備が漢を復興させた・・・という部分で終わっており、趙雲伝という言葉が少し色あせてい待っているように思います。これだと、「漢朝復興物語」みたいな題名の方がしっくりくるかもしれません。最も、フィクション人物は趙雲の側近ばかりに用いられるためこのようになっているのは理解します。

馬玉柔と趙雲の繋がりの解釈

 これまでの流れで最後に趙雲が馬玉柔を抱き抱えるのを見ると、何故その展開になる?と疑問を持つ視聴者は多いと思います。これは解釈が分かれる所でしょう。

 趙雲が言葉で言った事が真実であれば、立ち止まらず前を向くという事で思い人の夏侯軽衣の思いを断ち切り、それまで気になっていた軽衣似の馬玉柔と向き合いたいという風に素直に捉える視聴者もいるでしょう。

 しかしながら、最も素直な解釈があるとすれば、趙雲が馬玉柔に会いに行ったのは馬超の催促があったからであり、これが無ければおそらくは会いに行ってないはずです。したがって、趙雲は本心で馬玉柔を添い遂げようとは思わず、漢の復興のためには馬超という男は必要でそのために馬玉柔を迎え入れる決心をした・・・・というのが最も素直な解釈になると感じます。馬玉柔に趙雲が会いに行かなければ馬超は劉備に心から仕えないと思ったのかもしれません。

 その馬超はこの件がなくても劉備には仕えていたとは思います。それは公孫宝月の存在があるからです。宝月は趙雲を思い続けるはずですが、こちらも妥協という意味で馬超に好意を寄せてます。彼女の存在がある限り趙雲の行動にかかわらず、馬超は劉備を裏切らないでしょう。

 最後の終わらせ方からしても、ひょっとしたらこの物語は「本心ではなくても大義のためには犠牲を払う」というのがテーマの作品だったのでは?とも感じます。

 

 三国志は演技はもちろん、正史をさかのぼるのも面白く、今後どのようなドラマを作成するのかは非常に興味深い所です。人気からしても蜀軍の人物、あるいは「曹操阿瞞伝」などを題目にすると視聴者を引き付けるには違いありません。間違っても「孫権仲謀伝」を主役にしたドラマ等は興行的にも生まれないでしょう・・・。

 

 

 

スポンサーリンク